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  • 執筆者の写真Dancing Shigeko

アニメ『終末のワルキューレⅡ』第12話 釈迦、絶対的有利に見える!?

 こんにちは、Dancing Shigekoです!


 まずは過去が描かれる?


 今回はアニメ『終末のワルキューレⅡ』第12話を紹介します!


[内容]

#12

 零福は人類を幸せにするために、人類の不幸を全部自分の中に取り込んでいっていた。ところが時が経って、人類の様子を見にいくとまったく幸せになっていなかった。さらに通りがかった釈迦がひもじそうな人類を引き連れているにもかかわらず、彼らが幸せそうな様子を見て、納得していなかった。そして不幸を怒りに変えて、人類を滅ぼそうとする。零福は通りがかりの女性を殺そうとするが、その直前、七福神に分裂して、その場を凌ぐのだった。

 そして現在、釈迦に全力で復讐の斧を振っていくが、まったく当たらずにいるのだった。


[感想]

 毘沙門天の過去が描かれる一話。

・元は一人の神

 七福神が元は一人の神、零福だったことが描かれる。気になって調べてみると、当然のようにフィクション。それはさておき、人類のあまりの愚かさに怒りが爆発して、七つの大罪になりそうだったところを、7つの神に分かれたような感じ。

 あの展開から行くと、零福は七つの大罪になった、というように思えたけれど、そうではなかったみたい。


・手段を間違えた?

 人類が不幸な状態であるのを見て、零福は彼らの不幸を吸い取ることを考えつく。その方法がどうだったのか?不幸を吸い取ったら、自分の中に溜まっていくとは考えなかったのか。その溜まった不幸に耐えられなくなって、というわけではないにしても、人類が幸せになっていないのを見て、ますます不幸な気持ちになる。

 一方、釈迦は幸せは与えるものではない、と言い切っている。自ら見つけるものだと。この二人のやり方の違いが結果的に大きな差を生んだように思う。

 釈迦のように与えるのではなく、自ら見つけさせる方法がきっと選択としては良かったのだと個人的には感じる。


・未来が見える目

 釈迦には未来が見える目があるという。そんな力があったら、基本的には無敵なのではないか。その未来を見える目があるために、絶望を見てしまった時に体が動かなくなるというのが、今回の展開。しかし、気を取り直すのも早く、素早く防御に徹する。

 釈迦の方が圧倒的に有利と感じる。ダメージを受けることがあるのか?その辺りに注目。


 零福よりも釈迦を応援したくなる一話だった。


 前回感想→こちら


 皆様の感想もぜひお聞かせください!


 それでは、また次回!


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